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歴史は「人間の美醜の堆積物」

 

歴史を見ていると、ときどき、「なんで?」という不思議と出会う。

 

連戦連勝の英雄が、呆気なく討死する。

最強の海軍が、自分で圧勝した方法を、それ以降使わずに敗北する。

ちょっと想像すればわかる危険にわざと向き合わず、準備不足で崩壊する大組織。

 

あるいは。

 

ぜったい死ぬとわかっていながら、その人物に数百人がついて行く。

大きな敵勢を前にしても、指揮官を信頼して団結が崩れない軍隊。

まさかの敗北を喫し、そのあとも不利な戦いを続けているのに、勢力が衰えない派閥の長。

 

なぜなのだろう。

 

しかも人間は、成功であれ失敗であれ、似たようなことを繰り返している。

 

「一度組織で決められた方針は変更しにくい」

「あの上司の言うことなら、多少無理なことでも従う」

 

こういうことは、歴史では枚挙にいとま無いが、今まさに、私たち自身が日常感じていることでもあろう。

つまり歴史には、人間の性(さが)、人間の避けては通れぬ美醜が堆積しているのである。

これを活かさぬ手はない。

歴史が「人間の美醜の堆積物」だとすれば、そこからより良い人生の歩み方を学べるのではなかろうか。

 

もしこの「人間の美醜」に、目次や索引が付いていたら?

もしこの「人間の美醜」に、いま活用する例示があったら?

 

そうなれば歴史は、理想の自分に近づくための、手軽で万能な手引き書になるのではなかろうか。

私の仕事はつまり、「人間の美醜」に目次を付け、現代に活用できるよう例示することであると考えている。

 

歴史は、生きている私たちを通してはじめて、語り始める

 

とすると、手引き書をつくる私自身がどんな人間であるのか、ということにも触れねばなるまい。

元来、自己宣伝はまったく苦手であるので、不十分な点はお赦しいただきたい。

経歴は「プロフィール」をご覧いただければわかるが、あえて付け加えるならば、以下の点であろう。

 

もともと、政治社会学と政治史を学んでいたが、縁あって時事解説の本を書くことになり、たまたま良く売れて、政治の現場にいる方たちとも接点ができた。

総理経験者を含む政治家、官僚、新聞やテレビの記者、そして、政治家の家族。

また、経済団体のシンクタンクで委員を務めた関係で、経済人の考える政治のあり方も見てきた。

 

さらに、政治家の地元選挙区に入って取材などをするうちに、地域経済の大切さ、地域を支える大小さまざまな組織や人々に触れ、日本を支える地域の大切さを身に染みて感じた。

机にしがみつくのではなく、国を動かす人間から地域を支える方たちまで、幅広くお付き合いいただくことで、自分としてはバランスの取れた言論に反映しているのではないかと自負する。

 

他方、私自身はきわめて不器用な生き方しかできない人間だと思っている。ただ一点、心がけていることは、「知的誠実さを忘れない」ということ。

 

政治史を眺めていると、自分が信じたイデオロギーに支配されて現実を無視し、暴虐の限りをつくしたり、逆に信念を簡単に売り渡す者もいる。

 

私は信念を持ちながらも、自分が誤ったときには素直に反省し、また、発言者の所属や立場と関係なく、「なるほど」と思ったことは素直に受入れることにしている。

そういう「知的誠実さ」を、いつも心に留めている。

 

時流に乗ることを潔しとしない。力で押さえつけられると反発し、弱い者いじめを見ると放っておけない。

 

自分は真のリベラリストだとも思っている。

「リベラル」という言葉は、現代ではやや左翼傾向のある人物を指すが、私が政治を勉強していた30年以上前は、共産主義に対する自由主義者、という意味合いもあった。

つまりは、全体主義に反対し、自律した個々人が国を支える、という考え方である。

 

尊敬する人物は?と尋ねられると、汪兆銘の名を挙げる。

中国(大陸でも台湾でも)では「売国」と同じ意味に使われるような人物だが、実像はまったく違う。

細かい話は拙著(『「大日本帝国」失敗の研究』)をご覧戴きたいが、汪兆銘は、「自分を殺してでも人々を助ける」という信念の持ち主であった。

そのすさまじい生き様はとても真似できないが、そういう人間に少しでも近づきたいと願ってはいる。

 

さて。

 

仕事で史跡を見に行けば、石垣や合戦場の前で何時間も佇むような人間である。そこで当時の人々に想いを馳せ、時を超えて対話するのは、なんとも贅沢な時間である。

 

しかし、実際には史跡は何も語らない。

語るのは、そこを訪れた私たち自身である。

歴史は、生きている私たちを通してはじめて、語り始める。

 

私は皆さんがより良い人生、より充実した生き方ができる、そのための一助になるよう、皆さんと一緒に歴史を語り、歴史を発信していきたい。

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