top of page
  • 執筆者の写真Sarah Kidokoro

「歴史に学ぶ、事実と向き合う力」


10月16日(日)に、榎田竜路さんと対談をしました。

(「榎田竜路の愛でよろしく!(第12回)」

「歴史に学ぶ、事実と向き合う力」)


内閣府や経産省の委員、オリンピックの専門委員、映像作家、外国の大学の教授など、多才な榎田さんならではのお話しも聴けて、とても面白い対談になっています。


で、今回は。


事実に真正面から向き合わなかったことで、何が起きたのか。

歴史に材をとってお話ししました。


昨今も、特定の政治家が一部の方たちから、批判を通り越して「憎悪」の対象になっていますが、2・26事件(昭和11年)のときにも、似たようなことがありました。


殺された渡辺錠太郎(陸軍大将・教育総監)は、銃弾を43発。

斎藤實(元首相)は47発も浴びせられました。


高橋是清(蔵相)は3発の銃撃で死亡。亡骸に6箇所、刀傷がありました。亡くなったあと、刀で何度も斬りつけられたのです。


襲った兵たちは、会ったこともない人間になぜそこまでやったのか。


青年将校たちの蹶起動機には、たとえば部下の姉や妹が貧困のために身売りしなければならない、ということがありました。


たしかに当時、東北地方はたいへん厳しい状況でした。


ただ、これを日本全体で見た場合、どんなことが考えられるのか。


たとえば輸出額。

昭和4年を100とした場合、

事件の前年、昭和10年には111に増えていました。


国民所得は、

昭和6年から事件の前年・昭和10年までに、1・4倍に。


お米の収穫量は、

昭和9年   777万トン

昭和11年 1010万トン


日本全国で見た場合には、高橋是清蔵相はじめ当時の政府の施策は、十分とは言えないまでも、経済は上昇傾向にあったことは否定できません。


ではなぜ、青年将校たちは蹶起したのか。


そこには、自分たちが見たり聞いたりすることがすべて事実で、それが日本中で起きているのではないか、という「一般化」をしてしまった可能性があります(確証バイアス)。


そして、「悪いのは特定の個人である」という、誰かに原因を求める(対応バイアス)。


こうなると、当時の政府高官は憎悪の対象に容易になり得るわけです。


事件後、「反軍演説」で有名な斎藤隆夫(当時衆議院議員)は、


「一部の不平家、一部の陰謀家などの言論を鵜呑みにして、複雑なる国家社会に対する認識を誤りたることがこの事件を惹起するに至る大原因」


と、手厳しく批判していますが、それは現代にも通じるものがあると思います。


対談ではほかに、第二次世界大戦中の大本営発表を取り上げました。

なぜ戦果を水増しし、自軍の失敗を隠したのか。

そこには、国民の戦意を喪失させてはいけない、という理由とともに、

「失敗しても事実を隠せば責任をとらされない」

という背景もありました。


台湾沖航空戦(昭和19年)では、戦果の確認をおろそかにし、気がついてもそれを公表しなかったために大惨敗を喫したこと。


ミッドウェー海戦では、戦いの前に行なった図上演習で、日本に有利になるよう細工をしてしまったこと等々、指摘を致しました。


ほかにもさまざまな歴史夜話を、現代に通じることとして俎上に乗せました。

榎田竜路さんの示唆に富むお話と福井直子さんの名ハンドリングで、とても充実した90分を過ごさせていただきました。


なお、企業や団体向けの会員サイトですが、

現在、ビズアップ総研の【ニュース動画】で

「歴史失敗学」を配信しています(月2回更新。現在第9回まで配信)

(カテゴリーは「教養」です)。


1回、40分前後ですが、

わかりやすくお話しをしておりますので、

機会がありましたらぜひご視聴ください。




閲覧数:10回0件のコメント
bottom of page